近年、時計の雑誌などで、かつて見たような魅力的な雰囲気を持つ腕時計やクロノグラフを見かけるようになってきた。しかし、これらのものを良く見るといわゆる"復刻品"であることが多い。おそらく"優れたデザイン"というのは普遍的なもので、過去80年ほどの腕時計の歴史が星の数ほどもたらした数十万、あるいは数百万の顔の中でほんのわずかしか存在しないのだろう。

 これはあたかも音楽の世界と近似する。毎年、数千もの新曲が出現する。しかし後年にも生き残るのは大ヒットしたものなどごく一部でしかない。音楽ならレコードやテープ、そしてCDに良好な状態で保存でき、時にベスト盤なるものが当時とそのままの品質で提供される。つまり、音楽ならオリジナリティーやクオリティーといったことが話題になることはない。

 ところが腕時計やクロノグラフの場合はどうだろうか。時計に対するコンセプトがまったく違う時代背景の中で新規に生産される"復刻品"は果たして本物にどれだけ近い満足を与えられるのだろう。復刻品が儲け主義のビジネス戦略としてとらえられていたとすれば、それを買った多くの愛好者の期待を裏切ることになる。

 最近、多くの時計雑誌が販売され、そこでビンテージウオッチのすばらしさが紹介されるようになってきた。そしてそのことも復刻品ビジネスを流行らせる要因の一つとなったのだろう。"復刻品"は決して安くはなく、それだけに愛好者の心の琴線に触れる本質的なところの情報が今まさに求められているような気がする。にもかかわらずそのようなものが見当たらないのはオールドビジネスのメディアの依存構造(メーカー、広告、出版)の中では取り組みにくいテーマなのかもしれない。しかし、もしそうだとしてもInformation Technology を代表するインターネットという新しい伝達手段の登場で、このように比較的容易に一愛好者の立場での情報提供が可能になったのはよろこばしいことだ。


 今、私の手元に1960年代の名機といわれるクロノグラフ がある。良く鍛えられた鋼鉄を使い、しなやかでありながら硬度も高く、これを作るには相当な根気と時間をかけたことをうかがわせるケース( 実物に緻密な削り出しをしたラインが見える)だ。また、このケースは布でからぶきして上げると、みずみずしいしっとりとした光沢を放つ。

 これは私が見る限り何故か現在販売されている時計では見ることが難しい。今の時計のケースはステンレススチールながらもどことなくアルミくささがある。エッジは不必要に軟弱な面取りがされ魅力なくツルツルしている。量産品の宿命とでも言うのか、匠の技など感じようもない。

 さて、気になる復刻品だが、当然ほとんどその手のものは今の材料で作られている。本当はその復刻版も入手し画像を提供したかったのだが、持っていることがなさけなくなるのでやめることにした。実物も見せてもらったが、雑誌"世界の腕時計No39"に写真が載っている通り文字盤の意匠が似ているだけで、細く力強い線、やや厚めに盛り上がる印刷部分など、オリジナルの本物が持つ切れ味の良いパワーは私には感じられなかった。

 これは単にケースや文字盤だけの話ではない。肝心の機械となるとまったく別物が入っている。高級クロノグラフの証明とも言われる心臓部の機構がピラーホィール式からカム式に変わっている。この クロノグラフの本物(オリジナル)にはロレックスのデイトナや高級といわれる多くのメーカーで採用されたバルジュー72キャリバーが搭載されている。

 ピラーホィール式のクロノグラフは信頼性が高いだけでなくスタート・ストップのクリック感も良い。 ピラーホィールは画像を見てのとおり確かに加工しづらくコストが高くつく部品なのは良くわかる。しかしそれには目を楽しませるだけの美しさもあり、だからピラーホィールがほしいという願望ともなる。愛好者にカム式に変更された機械に愛着を持てといってもそれらへのこだわりがあればそれは無理というものである。おそらくその辺がメーカーと愛好者の間で意見がかみ合わない象徴的なところだろう。

 復刻品に搭載されたカム式のレマニア系のキャリバーの品質は良いものと思う。機構部品も合理的にコストダウンされ見た目は薄くやわに見えても動作的には十分なのだろう。しかし、愛好者のこのクロノグラフの本物への憧れとか魅力は"表面的なデザインの雰囲気"や時計としての"正確な動作"だけを期待するものではない。この復刻品は結果的には価値に対して高すぎる気がする。どうせ搭載キャリバーを変えるならいっそのことクオーツのクロノグラフキャリバーにしてしまえば安く売れるし中途半端さはなくなる。

 ところで、復刻品といえばなにも時計に限ったことではない。かつての真空管式の高級オーディオでも存在し、その評判も芳しくはない。こちらの方は音を聞けば歴然とわかってしまう。整流器がセレンからシリコンに変えられたとか、コンデンサを現在のもので代用したとか、およそ音のクオリティーは何で決まるかを理解しない中で復刻品ビジネスが花を咲かせることになる。

 復刻品はオリジナルの値が上がり、また、強い人気を市場から感じ取るといつのまにかわいてくる。しかし最近のように自己責任の時代では、愛好者は自分がオリジナルのどこに魅力を感じているかを明確につかむことと、メーカーなり雑誌社は復刻品に対する情報公開を愛好者の目線で十分にしていかないと健全な相互の発展にはつながらないだろうと思う。