2006年ウィーン・ダンス・コンコース


 2006年4月、ウィーンで行われたインターナショナル・ダンス競技会(ウィーン・ダンス・コンコース) に招待選手として参加した。これは毎年3月のJBDFスーパージャパンカップ競技会のグランドシニア選手権 優勝者を招待するものだ。日本代表として私たちが2組目。この招待制度は(日本側では) 大金氏を中心とするボランティアにより、ウインナワルツでも有名なウィーンと日本の ダンス愛好家の交流を草の根的に育ててきた成果の一つでもある。 主催者側の援助は滞在宿、競技会参加費、そしてオーストリア側オーガナイザーの個人的なサポートで一人分の 往復航空券の援助がある。現地のエアポートに着けばそこからは、招待者へのバックアップとして 現地パートナーカップルがまめに面倒を見てくれる。前置きはこれにとどめ、以下、「百聞は一見にしかず」で、 写真を見ながらお読みいただきたい。




 ここはウィーンの飛行場。成田から直行便で12−3時間揺られるとここに着く。芸術の都、ウィーンなのだが 飛行場は現在工事中で綺麗ではない。




 ウィーンに到着してから少し休憩。宿に荷を下ろし夕方6時くらいから現地教室でウインナワルツの講習会。 ここでは日本からの参加組以外にドイツ、イギリス、カナダなど外国勢の希望者も参加。2,3時間講習後、 近くの居酒屋で懇親会。これはそのときの写真。1メートルもあるウインナソーセージをつつきながらひたす らビールを飲むのだが、このとき時差が極限に達し眠くて辛かった。




 主催者が用意してくれたホテルのロビー。小さいけど重厚。一応4つ星で、競技会場からは徒歩5分程度と便利。 ここには主催者、ジャッジなども同宿。朝食のバイキングは新鮮なフルーツ類に各種ハム、ソーセージ、チーズなど激旨。




 翌日昼間は日本からの参加組で市内観光。ここはモーツワルトの像がある公園。(何と言ったか?) 4月は寒く、服装は日本の冬の格好。




 樹木の雰囲気がとても綺麗。どこにもゴミはなく綺麗。さすがに世界一の観光都市。




 夜はパートナーカップルが日ごろの練習に使うスタジオに行き練習。手前写真のカップルは私たちの パートナーカップルで、ロシア系のオーストリア人ご夫妻。オーストリアではD級からスタート。 競技会で良い成績をおさめると昇級しSA級まである。ちなみに降級の制度は無い。このご夫妻はSA級で ボディーもホールドも太くて強いか。




 この、びっくりするくらい凄い建物がウィーン市庁舎で、競技会場。第2次世界大戦時、オーストリアは ドイツ側として参戦したが、この歴史的な建物は連合国側の激しい空爆の中で良く残ったものだ。




 競技会場の入口に張り出された案内ポスターだが、うっかりすると見落とす。この入り口を発見するまで、 巨大な建物を一周させられた。




 競技会前日、会場設営が一段落した夕方から自由練習会。




 競技会初日。スーパーシニア、トップシニア、グランドシニア、シニア・・ジュニアと若い方へ競技会が進行。 スーパーシニアから観戦だが、これが65歳を過ぎた人たちの踊りかとびっくり。確か日本ではワルツ、タンゴのみ、 しかも単科。ここでは5種目が標準でお国柄かウインナワルツまで驚くほどのパワーでしっかり踊る。ここに来るまで 高齢者は日本の方が強いと思い込んでいたせいか、強い焦りを感じる。トップシニア(55歳以上)の競技を見たとき、 焦りは頂点に達し、ドイツ勢のパワーと質の高さに戦意喪失気味。立ち直る時間的 余裕も無いまま参加種目のグランドシニアがスタート。日本では55歳以上だが、オーストリアの競技会では グランドシニアは45歳以上。まさに、ミドルシニア競技会の中にグランドシニアの選手が入り戦うようなもので、 それもプレッシャーになり初日はすっかり固まった。(我々カップルは中央奥右よりの白いドレス。)




 結果、終わってみると5位。(順番に整列で左から5番目)これが良いのか悪いのか、読んでいる人にはわからないと思うので 恐縮ながら前回の日本代表の場合、その順位は2位で一日目で当確。いずれにせよ、5位というのは本番である翌日夜からの グランドファイナル(いわゆる決勝)には出られない。少しくどくなるが競技システムが違うのでさらに説明すると、 予選では出場者を2つに分け、それぞれのグループで1位から最下位までの順位を確定する。 よって、一日目、二日目とも優勝者はそれぞれ2人出る。 一日目が終了した時点で、上位4位までに当確が出て5,6位は補欠の扱いになる。 さて、その夜には外国から来た選手だけを集めた懇親会があった。イギリスの選手が近寄ってきて「君は今日の自分の順位を どう思うか?」と聞いてきた。私は正直に「雰囲気に飲まれ気負ってしまった。」とこたえると、「もっと上の成績になると思っていた。」と 慰めてくれ、世界どこでも選手仲間はありがたいと感じた。外国から来た選手たちは、どうやら今回が初めてということではなく、 常連組が多いようだ。特にドイツ、スイスは近く、大阪の人が東京の競技会に出るようなもの。 これら常連組は競技のシステムに熟知していて、初日5位になってしまった私に「明日は2位か悪くても3位までに入らないと 予選は通過できない」と詳しく説明してくれた。ということで、料理も美味しく食べられず。日本のグランドシニアを代表して 競技会に参加し、(いかに10歳若いところの競技会に参加とは言え)予選落ちでは日本に帰れない(^_^;)・・と、 この夜は眠れなかった。(ほんとうに)




 次の日、とにかく最善を尽くすことを自分に誓い、精神を集中し会場へ。ここで昨日の競技会を見ていた日本人のガイドの方たちから 「踊りのことは分からないけど、顔が楽しそうでなかった。他の選手は皆笑顔で踊っているから笑顔で踊って」とアドバイスを受ける。 前日の競技結果が張り出されているところで、ストレッチしていると前日2位になったドイツの選手が近づいてきて、 「君は今、ぎりぎりのところにいる。強いラインと積極的な動きで頑張れ。」と、これまたアドバイスを受ける。 これらの声を背に2日目の予選がスタート。この写真はそのときの一次予選。陰に隠れているが後ろの白いドレスが我々。




 一つ上の写真(一次予選)の続きだが、これは決勝の写真。あまり良いショットではないが強豪の中で頑張れたと思う。




 結果はなんと優勝!! これが2006年で一番嬉しい出来事だったかもしれない。欧米人は比較的頭髪が薄い人が多く、 ふけて見えるがダンスをする人たちは若く体力もある。肩幅は広く頭は小さく、東洋人の我々はどうもスタイルの面で 見劣りする。日本と違いトロフィーや賞状は出ないがいろいろな商品が出る。このときは木箱に入ったワインが 優勝商品の一つで、後で美味しくいただいた。




 2日間の予選も終り総合成績の発表。我々5位と1位なのに総合では2位。2日間とも2位の人は総合で4位の結果となってしまう。 どうも合算してスケーティングしているよう。こういうことだから2日目もし4位だったら決勝には出られなかった。




 2日目、夜からがグランドファイナルのスタート。ここからがメインで、入場料を取り観客も多数観戦。予選の時とは違い ジュニアからのスタート。




 これは35歳以上のシニア。10歳刻みの競技枠で、もちろん若い方へチャレンジ可能。日本と違い年齢制限の無いクラス戦に 固執せず、適切な年齢枠で条件を同じにし競技を楽しんでいる。競技会全体の参加者もシニアクラス以上が多いようだった。




 私が出たグランドファイナルのグランドシニアの決勝の写真。この中には全英ブラックプールのシニア戦で数予選 残る人たちもいるようで、私も気合負けしないよう頑張った。




 決勝が終わりメンバーがお互いの検討を称え合った。頭は薄いけど皆若い。オーストリアでの競技区分の呼び名が グランドシニアなので、日本の同じ呼称のJBDFグランドシニア優勝者を招待するということだが、年齢同条件である オーストリアでの呼び名がトップシニア(つまり同じ55歳以上の)区分に招待して欲しいのだが、いろいろ事情があるようで 今後もこの点は変わらないだろう。よって、日本からエントリーする場合は、この招待枠以外にトップシニア区分にも エントリーすると良いと思う。私もそうしようかと思ったが、スケジュールを見たら同時進行なので、 スタミナ切れの懸念もありグランドシニア招待選手という立場なので断念した。




 グランドファイナルで2位を獲得。何とか日本のグランドシニア代表としての役割を果たせた。 しかし終わってみればの結果であり、ジャッジが異なれば別の結果。今回は幸運に支えられたのだと思う。 優勝者は現地オーストリアの選手兼、この競技会のオーガナイザー。 表彰式のアナウンスで私は言葉が分からなかったが、現地日本人ガイドの方が、「日本からようこそ!!」と 紹介されたと言っていた。同じダンス愛好者として暖かく歓迎してもらった。 これからも機会があれば各地の競技会に参加したいと思う。




 決勝メンバーの集合写真で左から1位から8位まで。みな背が高く我々が一番小さいか。




 競技会も終わり、リラックスした気分で翌日はモーツワルト生誕の地、ザルツブルグの観光。これは有名な山城の ショット。当日やや靄がかかり、それがかえって古城の遠近感を醸成している。




 左がこのグランドシニア招待制度を生み育ててくれた大金さん。このような機会を設けていただいたおかげで 今、この場にいられるのだと感謝。ウィーン・ダンス・コンコースの競技会は世界一の豪華な会場で、ボランティアの皆様の 暖かいサポートでとても楽しめる競技会だった。世界の各地で競技会はあるが、ここは受け入れ体制が整い、また、 競技会後の観光も楽しめる総合的な良さがある。日本とオーストリアのダンス交流が今後ますます発展することを 期待したい。